飯田線を走った車両達 その8
流電52形一族 目次
流電こと52形一族とは、阪神間の急行用電車として当時流行の流線型で製造され、狭窓の第一次流電、広窓の第二次流電と、京都電化延長に伴う京阪神間の急行電車用に増備されたいわゆる合の子編成の4両固定編成計5本20両を指し、関西省電の華として大活躍した車両達である。戦時中にもこの一統は扉増設工事をされることなく、サロハ→サハ改造3両と、戦災廃車により電動車を2両失った状態で戦後を迎えた。
一時急行電車に復帰したが、原形のサハ5両(29〜33)は他の42形一族とともに1950年秋東鉄に転じ横須賀線で使用され、52形・合の子43形とサロハ改造のサハ、66形のまま残った2両(18・19)は阪和線に転じた。
この66018・19の2両は、1年あまりで飯田線に転じ、52年クハ改造され47021・22となり、一時期伊東線でも使用されたが、身延線を経て飯田線に戻り生涯を終えた。
阪和線に移った残りの車両は特急等に使用されたが、53年に43040・41が原形43と同様に出力増強され53形の8・7となり、39のみが43形で残った。48034・35が56年東鉄に移り、57年から58年にかけ残りの全車が飯田線に転じ、52形は快速運用で活躍し、43039と53007・8は伊那松島機関区で使用された。
最後に飯田線に来た48036は、ほどなくクハ改造され47025となり伊那松島機関区に配置された。東鉄へ行った48034も59年末豊橋機関区に転入し、元の仲間52形と編成を組み第一次置換えまで使用された。
59年12月の形式整理により、47021・22・25は47153・155・151に改番となり飯田線・身延線で活躍した後飯田線に集結し、第一次置換えまで使用された。
大那庸之助さんに頂いていた52形の写真をアップすることについて、ご家族のご承認を頂いたので阪和線時代の姿を載せることが出来ました(2004/7/19)。
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