飯田線を走った車両達 その11

湘南形電車 
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 飯田線を走った湘南形こと80形が、全線通して入線したのは’60年1月末に行われた準急電車試運転が最初である。東海道線の名古屋付近のローカル列車置換えに使用された80形は大垣電車区に配置され、受持ち工場は豊川分工だったので、入出場に当線豊橋〜西豊川を走り、また豊川稲荷の初詣輸送用として、豊橋〜豊川を走ったこともあるが、辰野までの全線はこの試運転が最初であり、翌’61年3月1日からの「準急伊那号」が営業用としては最初であった。準急伊那号は大垣電車区の80形300番台車4両で組成され、名古屋〜辰野間の運転であった。
 準急伊那号は好評で、翌’62年中央東線の上諏訪〜辰野部分電化で上諏訪延長を果すとともに1往復の増発を見た。最終的には線内3往復となり、名古屋朝発夜着の1往復は、名古屋(末端区間各駅停車となり大垣発米原着等で、東海道線内の連結両数不明)〜飯田間6両で運転、飯田で2両増解結した。この2両はTcMで、豊橋方に連結したが、飯田での入換に備え80形の第2エンドに簡易運転台を設置し、前照灯も取り付けた。'72年3月改正で165系に置き換えられるまで活躍し、優等列車としての使命を果した。
 一方配置車両としては、’71年6月豊橋区へサハ87001が転入し、スカ色に塗り直され流電編成に組み込まれた。その後第一次旧形国電置換え用として、’78年10月以降M30・Tc30の60両が大垣・静岡・松本等から配置され、入替りにサハ87001は流電とともに使用休止となり、’79年廃車となった。
 60両の80形は、全車300番台(85100も87の300番台からの改造車)で統一され、基本編成はTcMMTcの4両、付属編成はMTc2両編成で、基本編成の辰野寄りに連結された。前段で述べた簡易運転台設置車は4両とも転入したが、付属編成の連結位置が伊那号の時とは逆で、役には立たなかった。4両編成は全線で、6両編成は、旧形国電の時と同じく水窪までの区間運転に使用された。
 流電を追い出した格好の80形も、旧形国電より早く’83年2月に新鋭119系に置換えられ姿を消した。

モハ80300(静トヨ) モハ80391(静トヨ)
モハ80300〜80340 モハ80341〜80392
クハ86037〜86315 クハ86317〜86353
クハ85104・85108・サハ87001

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