飯田線を走った車両達 その4

42形一族 クモハ43

クモハ43形
 42形一族の盟主として37両製作され京阪神間で活躍した。戦時中13両が4扉化改造で64形になり、内1両が戦災廃車、残り24両の内5両が事故又は戦災廃車となり、1950年9月東鉄へ来たのは、19両であった。51年から出力増強工事が始まり、5両が初代43800となった。称号規定改正の53年に改造され、43800代を経ずに直接53形となった2両を含め新形式53形は7両(0〜6)で、残りの12両(2・4・7・8・9・13・14・15・22・24・25・32)が横須賀線で後に伊東線でも活躍した。飯田線には57年暮に7・9(借入)、翌58年9・25が正式に転入した。しばらく経った63年11月に15が、翌64年2月に4・13・22の3両転入し、スカ線に残った5両の偶数車も64年3月末までに51形200代に改造され、43形としての東京地区の活躍は終了した。飯田線に集結した43形は7両で、内3両(4・22・25)が低屋根改造され65年3月身延線に転じ、残り4両(いずれも奇数車で7・9・13・15)が主に伊那松島機関区に籍をおき活躍したが、78年の第一次置換えで3両が廃車となり15号車のみ83年の最終置換えまで生き延びた。
クモハ43800(静ヌマ) 74.10.9富士電車区
←クモハ43004(65.2.19浜松工低屋根改造) 64.2.11〜65.3.6豊橋区在籍
クモハ43800(長キマ) 75.9.21松本 中央西・篠ノ井線使用(青色塗装直後)
77.9.9付廃車(長・北松本支所)
モハ43007(静ママ) 58.1転入直後大田切(Tc代用はM14100)
クモハ43007(静ママ) 65.8.20飯島
クモハ43007(静ママ) 76.5.28辰野
クモハ43007(静ママ) 76.12.1小町屋付近
78.11.24付廃車(静・豊橋機関区)
モハ43009(静ママ) 58.8.17伊那松島機関区
モハ43009(静ママ)車内 58.8.17伊那松島機関区
モハ43009(静ママ)のDT12 58.8.17伊那松島機関区
クモハ43009(静ママ) 76.5.24伊那本郷
78.11.17付廃車(静・豊橋機関区)
クモハ43013(静ママ) 64.3.16伊那松島機関区
クモハ43013(静ママ)正面 64.3.16伊那松島機関区
クモハ43013(静ママ)銘板 64.3.16伊那松島機関区
クモハ43013(静ママ)DT12台車 64.3.16伊那松島機関区
クモハ43013(静ママ) 74.7.12伊那松島
79.3.9付廃車(静・豊橋機関区)
クモハ43015(静ママ)台検中
63.12.23伊那松島機関区
クモハ43015(静ママ) 83.2.20七久保
左の20年後の面構え
クモハ43015(静ママ) 81.7.23辰野
クモハ43015(静ママ) 81.7.23辰野
クモハ43015(静ママ) 82.2.6伊那松島
クモハ43015(静ママ) 83.2.20七久保
クモハ43015(静ママ)1側 83.5.22天竜峡
クモハ43015(静ママ) 83.5.22天竜峡
83.10.26付廃車(静・伊那松島機関区)
クモハ43802(静フシ) 65.5.19身延(大那庸之助氏撮影)
←クモハ43022(65.3.9浜松工低屋根改造)
64.2.11〜65.3.8伊那松島区在籍
クモハ43802(長キマ) 75.4.10松本(転入直後で表記は静ヌマ) 中央西・篠ノ井線使用
クモハ43802(長キマ) 75.9.20松本 青22号塗装出場直後
クモハ43802(長キマ) 76.9.21松本
77.9.9付廃車(長・北松本支所)
モハ43025(東チタ) 58.2.22伊那松島(転入時)
クモハ43025(静ママ) 59.8伊那松島機関区
この6月に車両称号規定の改正があり制御電動車クモハとなったが未だ二段書きである。
65.3.27浜松工で低屋根改造を施工しクモハ43804となり身延線に転属した。
クモハ43804(長キマ) 75.4.10松本電留線(転属直後で表記は静ヌマ) 中央西・篠ノ井線使用
クモハ43804(長キマ) 75.9.21松本
クモハ43804(長キマ) 77.9.4松本(77.8長野工で青22号塗装直後)
本線系統での勤めを80形に譲り大糸線専用に
クモハ43804(長キマ) 81.7.23塩尻(定期営業運用の最終日)
7月26日のさよなら運転に使用後 82.2.12付廃車(長・北松本支所)

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