飯田線を走った車両達 その12
電気機関車編 目次
伊那電引継の電気機関車は、デキ1−6両・デキ10−1両・デキ20−2両の9両であり、1951年それぞれ国鉄形式ED31・ED32・ED33形と改称された。このうちED31形については車輌小史に’55年の北部昇圧と期を同じくして廃車と記したが、伊那松島機関区30年史(1973年発行)によると、4両が昇圧前年の’54年夏に使用休止となり、残る2両も翌年2月には廃車となった。いずれも私鉄に払下げられたが、上信電鉄に行ったED316以外は西武鉄道と近江鉄道に行き、最終的には5両が近江鉄道に集結した。ED321は’60年まで使われたが、岳南鉄道に払下げられた。箱型の整った姿をしたED33形は、’61年再度形式が変わり、二代目のED2611・12となった。12号機はパンタグラフも取り替えたので、かなりイメージが変わってしまった。
伊那松島機関区の区名札は「松」であったが、いつの頃からか「伊」に変わった。辰野で松本のカマと出会うことはなかったように思うが、受持ち工場が浜松工から長野工に変更になった頃からかもしれない。
北部における機関車は、ED19・ED18からED61改造のED62へと移り、JR化後イベント用として大型機EF58の運転を見るに到った。その後他のローカル線区同様、貨物列車そのものが無くなってしまった。
ED31・32・33(26)・19 | ED18・62・EF10 |
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