旧形国電編 17メートル車 サハ17

 サハ17形は、1953年の称号規定改正により誕生した形式で、17メートル通勤形の各系列から集められています。30形の付随車サハ36は0番台を与えられ、後に丸屋根改造を受け原車号に100を足した番号となった。31形の付随車サハ39は200番台となり、50形のサハ75は300番台、クハ65の運転台撤去車は320番台を名乗りました。称号規定改正時に72両を数えたサハ17も、60年度当初には64両となり約半数の30両が南武線に、次いで浜線の東神奈川に11両が配置され、弁天橋に7両、赤羽線用の池袋5両、常磐線には同じく5両、津田沼2両と言ったところが首都圏分で、仙石線に2両、岡山区2両となりました。最後まで残ったのは南武線用の200番台7両で、70年の7月2両、12月に5両廃車となり、形式消滅しました。

サハ17101(東テシ) 62.3.11弁天橋電車区(大那庸之助氏撮影)
鶴見線使用後 67.6.1付廃車(東・弁天橋電車区)
サハ17102(東テシ) 62.3.11弁天橋電車区(大那庸之助氏撮影)
この後岡山区に転じ 66.12.17付廃車(岡・岡山運転区)
サハ17108(東ナハ)
1965.5.19 矢向電留線
1969.7.17付廃車(南・弁天橋電車区)
サハ17118(東ヒナ)
1965.6.23 東神奈川電留線
1967.12.21付廃車(東・中原電車区)
サハ17202(東テシ) 62.3.11弁天橋電車区(大那庸之助氏撮影)
鶴見線使用後 67.6.1付廃車(東・弁天橋電車区)
サハ17219(東ナハ)
1964.4.12 中原電車区
1967.6.1付廃車(東・中原電車区)
サハ17300(東ヒナ) 62.3.11東神奈川(大那庸之助氏撮影)
横浜線使用後 66.2.12付廃車(東・東神奈川電車区)
サハ17305(東ヒナ) 62.3.11東神奈川(大那庸之助氏撮影)
横浜線使用後65.5.27阪和線に転じ
翌66.3.14付廃車(天・鳳電車区) 
奥から サハ17314+17306(東ヒナ) 
1965.5.19 東神奈川電留線 廃車回送待ち
1965.3.31付廃車(東・東神奈川電車区)
サハ17314(東ヒナ) 
1965.5.19 東神奈川電留線 廃車回送待ち
1965.3.31付廃車(東・東神奈川電車区)

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